やちむんの里

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「焼き物の里」が沖縄では「やちむんの里」になります。琉球瓦もシーサーも「やちむん」です。沖縄県中頭郡読谷村座喜味2653-1番地にある「やちむんの里」に行きました。陶芸家が共同で活動する古風な趣の工芸村です。さまざまな陶芸家の工房があり、デモンストレーションや陶器の販売を行っています。

沖縄は「サンゴ」と「溶岩」でできた島ですが、長い時間をかけて植物が「陶土」をつくりました。「やちむん」は、その土地の土と、土地の植物やサンドで作った釉薬で制作されています。

かつて琉球と呼ばれた沖縄は、中国の清や東南アジアの国々と貿易を行う、優れた交易国でした。14世紀後半から、酒甕(さけがめ)や碗など多くの陶器を輸入し始め、1429年に「琉球王国」が誕生してからもそれは継続。転換期となったのは、1609年、薩摩の島津藩が琉球を支配下に置いたときからでした。「1616年、薩摩から招聘した朝鮮人陶工が、琉球の湧田村(わくたむら)で製陶技法を伝えたのが、沖縄の陶器生産の始まりだとされています。これらは無釉・低温焼成の焼き物で、〝アラヤチ〟と呼ばれました。その後、紋様や絵付けを施して釉薬をかける〝ジョウヤチ〟が成立したと考えられています」

その後も本島の各地に窯場がつくられ、陶工たちは海外の碗や酒器を真似たりしながら、独自の焼き物文化を築きあげていきました。1682年には、点在していた窯場が那覇中西部にある牧志村(まきしむら)の壺屋(つぼや/焼き物産地の意)に集められ、琉球屈指のやちむんエリアが誕生。ここで焼かれる陶器は壺屋焼(つぼややき)と呼ばれるようになったのです。

そして17世紀から1879年の廃藩置県まで、つまり琉球王国の時代にさまざまな陶器が生まれます。これらは〝琉球古陶(りゅうきゅうことう)〟と呼ばれることも。

「主につくられたのは、マカイ(碗)など実用の食器と、嘉瓶(ゆしびん)や瓶子(びんしー)といった沖縄独自の儀式儀礼のための酒器。形のゆがみや、制作過程でついた指跡のような偶然性も楽しむようなところが特徴です。これは、紅型(びんがた)や琉球漆器など華やかさと繊細さを追求する感性とも違う、〝沖縄のもうひとつの美意識〟でしょう。ひとつの文化に異なる美意識が共存するのが、沖縄工芸の面白さだと思います」

https://intojapanwaraku.com/craft/1024/

昭和10年代、思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)や陶芸家の濱田庄司(はまだしょうじ)ら民藝運動の立役者が壺屋焼に出合い、本土へ広く紹介。現代まで続く「やちむん人気」の礎を築きました。現在は、民藝的な世界観だけにおさまらない作家や、数百年前の古陶に手本を求める職人も。「やちむん」の可能性は広がり続けています。

やちむんは、生活雑器なので、気取ったものではありません。登り窯で焼いたものには「蛇の目」といって、焼くときに重ねられた上の皿の糸尻が輪の模様に「蛇の目」を描くと聞いていました。左上のがそれ風に、ちょうど蛇の目型に施釉されていない部分が模様になっています。釉薬に「サトウキビ」を使うと聞いていました。イメージでは右上の茶色の釉薬がそれのような気がします。

米のとぎ汁で煮て、そのまま冷ましてしばらく漬けておく…あるいは、水に二日間漬けておく…とされています。ゴーヤチャンプルーとか海ブドウが似合うように思います。

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