新富町文化市場は、古い市場の再生プロジェクトです。1935年に新富町市場が落成た時は、馬蹄型の公設市場は台湾では前衛的で珍しいデザインでした。新富市場の本来の名称は「新富町食料品小売市場」と言い、日本時代の1935年に台北市が建てた屋内市場です。
戦後は大勢の軍民が国民政府とともに台湾へ移ってきたため、周辺には人口が増え、多くの人が屋台を出し、新富市場はますます活況を呈すようになり、周辺には平屋や台湾式建築の「半楼仔」などが軒を連ね、新富市場の店舗数は従来の計画の35店舗の上限を超えて周辺の空地にも広がっていったそうです。
1950年代には市場は常に人であふれ、万華住民の生活の中心だったが。しかし、1970年代末には環南市場がオープンし、新富市場周辺の屋台が合法化されたことも衝撃となり、顧客が流出していった。1990年代に入ると伝統的な市場は本格的に衰退し始める。新富市場にほど近い三水街は人出でにぎわっているのに、新富市場は廃れ、日本時代に建てられたこの建築物は露天商の物置き場となってしまった。
そうした中の2006年、この建物の文化遺産としての価値が認められ、台北市によって「市定古跡」に定められたのである。台北市の市場処が空間を修復した後、2013年に「忠泰建築文化芸術基金会」が新富市場の9年にわたる経営権を取得し、再利用に動き出した。だが当初、この市場に関する資料が極めて少なく、再利用チームは周辺の住民や商店の話を聞いて回り、少しずつかつての市場の様子を理解していったのである。
基金会が進出すると、現地の商店の興味を引き、将来の新富市場ではどんなものを売るのか、出店できるか、などの問い合わせがあった。チームのメンバーは、ここは「売り場」ではなく、伝統的市場の特色をイベントに取り入れて新しい方法で地域とのつながりを持つ、古い市場を感じる空間になると説明した。そうして2017年3月、「新富町文化市場」へと生まれ変わった。従来の市場の機能はなくなって複合型のクリエイティブ基地となり、飲食、教育、町づくり、市場生活観察といったテーマで一連の展覧会や講座、ワークショップなどの活動を行なう場である。これによって古い市街地に若い世代のデザインと活力をもたらしている。
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