剥皮寮 (Bo-Pi-Liao) 歴史街区は、龍山寺周辺と古亭地区(現在の師大夜市近く)を結ぶ幹線道路でしたが、現在は市政府によって、訪問者が鑑賞できる歴史的および文化的地区として保存されています。
剥皮寮 (Bo-Pi-Liao) は、清王朝時代後期 (1800 年代後半) の最盛期には、台北で最も賑やかで最も繁栄した商業地域の 1 つであり、さまざまな商人の本拠地であり、石炭貿易の主要地域の 1 つでした。日本統治時代 (1895 ~ 1945 年) の新しい都市計画で、新しい道路 (この例では広州通り) が建設され、都市のさまざまな部分をよりまとまりのある方法で接続するため、かつての大通りが路地裏に追いやられました。
広州通りができてから、剥皮寮 (Bo-Pi-Liao) は荒廃に陥りました。2000 年代初頭、台北市政府はこの地域の歴史的建造物の修復に取り組み、この地域の遺産を保護するために遺産文化教育センターを設立しました。ここでは古いものがたくさん残され、そこに新しいモノが加えられて、使い続けられています。2度訪ねていますが、2回目は雨でした。
建物は煉瓦造の壁と、木造の架構で作られた床と屋根で構成されています。そこに加えられる新しい構造物もRCのフレームに煉瓦の壁で作られているため街は同じテクスチュアで統一されています。日本統治時代の商店は、堅固に作られているため、そこにモダンな内装を施して、ギャラリーやカフェとして使われています。
歴史街区の裏は小学校になっています。その小学校も素敵ですが、歴史街区とsっ用学校に挟まれた緑道添いは新しく建て増しされた3階同士がブリッジで連絡していて上層に違う世界を創り出しています。
古い建物に囲まれて中庭状に残された空間は裏に回ると、年代の違う建物が継ぎ足されて増殖してきたことがよくわかります。人の手の仕事の味が残るところも煉瓦造のよいところのひとつです。