セーチェーニ鎖橋(Széchenyi Lánchíd [ˈse̝ːt͡ʃe̝ːɲiˌlɑ̈ːnt͡s(h)iːd])は、ハンガリーの首都ブダペストに架かる吊り橋で、全長380メートル。ブダペスト市内のドナウ川沿岸で最初に架かった恒常的な橋で、西岸のブダ地区と東岸のペシュト地区(ペスト地区)を結んでいます。
鎖橋(チェーン吊橋)とは、メインケーブルにチェーンを使用する吊橋を示します。19世紀初頭には、ネックレスチェーンのような鉄輪をつなぎ合わせたリンクチェーンを使った吊橋も複数建設されていましたが、強度の問題などからあまり建設されなくなっていました。これに対して、セーチェーニ鎖橋で用いられているチェーンは、アイバー(eyebar)と呼ばれる両端に穴の開いた細長い鉄板をつなぎ合わせて鎖状にしたアイバーチェーンで、自転車のチェーンなどに近いものです。セーチェーニ鎖橋で採用されたのも、このアイバーチェーンでした。
ブダとペシュトはドナウ川を挟んで発展した町で、それらを結ぶ橋を建設しようという試みは15世紀初頭以来、何度も見られていましたが、いずれも成功しませんでした。鎖橋が完成するまでは、恒常的な橋の代わりとして、並べた舟の上に橋を渡す「舟橋」や、一種のフェリーを利用する「飛び橋」などでしたが、いずれも冬場になると押し寄せる氷を避けるために解体されていました。そのかわり、その時期にはやがて凍った川を渡れるようになるので、それが橋の代わりになっていました。
本格的、恒常的な橋の検討は、橋の名前にその名を遺すセーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵の次のような逸話が契機でした。
19世紀になると伯爵セーチェーニ・イシュトヴァーンが恒常的な橋の建設を本格的に検討するようになる。彼が恒常的な橋の必要を痛感したのは、1820年のことだったとされている。その年の12月に父の訃報を受け取ったセーチェーニは、急いで駆けつけようと川を渡ろうとしたが、舟橋などはすでに解体されていた。その一方で、まだ川の上を歩けるほどには凍結しておらず、氷を避けて向こう岸に届けてくれる渡し守を手配するのに時間がかかった。彼はこのときの経験から、恒常的な橋の重要性を認識するようになった。
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イングランドの技師ウィリアム・ティアニー・クラーク(William Tierney Clark)が設計し、建設はスコットランドのアダム・クラーク(のちハンガリーに帰化してクラーク・アーダーム、Clark Ádám)の監督とハンガリー人セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵の支援のもとでなされた。橋の両側は彼らの名前を冠したセーチェーニ・イシュトヴァーン広場(Széchenyi István tér, 旧ルーズヴェルト広場 Roosevelt tér)とクラーク・アーダーム広場 (Clark Ádám tér)になっている。クラーク・アーダーム広場はハンガリー国内の道路の0キロメートル点となっており、原標 (Zero Kilometer Stone) が設置されています。
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