Hospital de Sant Pau 1901~1930

Architecture

サン・パウ病院(Hospital de Sant Pau)はスペインのバルセロナにある病院で、1997年、カタルーニャ音楽堂とともにユネスコの世界遺産に登録されました(ID884)。この病院では2009年まで診療がおこなわれていましたが、老朽化のために閉鎖され、修復が進められています。修復中の箇所への立ち入りはできませんが、修復が完了した一部については見学を再開しています。

設計は、リュイス・ドメネク・イ・ムンタネー (Lluís Domènech i Montaner、1850年12月21日 – 1923年12月27日)で、カタルーニャ地方のムダルニズマやアール・ヌーヴォーに影響を及ぼすとともに、政治家としても活動した建築家で、バルセロナ建築学校の教授時代の教え子には後にライバルとなるアントニ・ガウディがいました。リュイス・ドメネク・イ・ムンタネー は、ガウディの先生でした。

バルセロナの街は基本的に海岸線に正対するように正東西南北に45°触れたグリッドで構成されていますが、サン・パウ病院とサクラダファミリアを南北軸上に正対していて両者は「ガウディ通り」と呼ばれるプロムナードで結ばれています。サクラダファミリアは、サン・パウ病院の2階のホールから真正面に見えます。

Hospital de Sant Pau

モデルニスモのこの豪華な病院は1902年(または1901年)から1930年にかけて建築されました。145,000平方メートルの敷地内には48の建築物が立ち並ぶ巨大な建物群です。起源は1401年よりバルセロナの市内にあった6つの病院で、これらを統合して設立されました。病棟は南向きに配置され、全ての病室に南の光が差し込むようにできています。また、病棟間は、清潔な地下通路で結ばれていて、医師の病院内での移動は安全と清潔を保てるようにできています。

ドメネクは、マドリッドの建築学校を卒業後、バルセロナに戻りバルセロナ建築学校(スペイン語版)(現在のカタルーニャ工科大学建築学部)で若くして教授となった。この地位にあったために、カタルーニャのムダルニズマ(モデルニスモ)はどうあるべきか大きな影響を与えた。建築家としてのドメネクは、当時マドリッドで流行していたイスパノ=アラブ様式の特別な装飾からスタートし、そしてムダルニズマの特徴である湾曲したラインとを組み合わせた豪華絢爛なスタイルを生み出し、同時に近代建築の特徴である合理的な構造を持つ建物を建てた。最初期の作品の一つには1888年に開催されたバルセロナ万博の際にレストラン(最近までは自然科学博物館として使われていた)として建てられた。ドメネクはこの建物で新しい鉄構造に伝統的なセラミックを組み合わせるという技術を用いた。この技術は、1908年にカタルーニャ音楽堂建設においても使われ石造、積石造の重厚な空間を鉄骨による軽い空間を生み出している。

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患者が退院の手続きをするホールは、健康の喜びに満ち溢れ、明るく暖色に満ち溢れていています。

Palau de la Música Catalana 1908
カタルーニャ音楽堂は建築家リュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネー(Lluís Domènech i Montaner)によってモデルニスモの様式で設計されたコンサートホールです。1905年から1908年にかけて、カタルーニャ・ルネサンス(文芸...
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