バルセロナのミロ美術館は、正式名称はカタル―ニャ語で「Fundació Joan Miró, Centre d’Estudis d’Art Contemporani」訳すと、ジョアンミロ財団、現代美術研究センター)となります。特別な美術館で、個人美術館としては世界最大規模です。バルセロナの人々からは「ミロからの贈り物」と呼ばれています。この美術館は、ミロが1968年に構想したもので、親友のジョアン・プラッツと共に設立しました。ミロは芸術家たち、特に若い世代に現代美術の試みを促すような、新しい施設を作りたいと考えていました。
またミロの友人たちも、ミロの作品を収めた美術館が故郷に無いことを残念に思っていたこともあって、無償で設計を担当したホセ・ルイ・セルトは、誰もが建物にアクセスし鑑賞ができるよう配慮し、また来館者が建物内を自然に進んでゆけるよう中庭とテラスを設けた。屋内は外光を充分に取り入れた開放的な雰囲気があります。
2017年10月10日、ミロ美術館はスタッフによるストライキで終日見学不可でした。こちらの都合で美術館を訪ねても、はるばる本物を見ようと目当てにしていた作品が、日本に出張していたりすることはよくあります。しかし、スタッフのストライキで、入館できないのは初めてでした。
当日、スタッフは総出で、大規模な展示替えをしているかのような雰囲気でしたが、だれに話しかけても返ってくる返事は「ストライキ…」てんということで、ようやく事態を把握することができました。しかしながら、美術館のストライキは緩いもので、中庭を見たい…と希望すると、ニコッとして、どうぞ中へ…とジェスチャーで案内されました。ついでにミュージアムショップで買い物をすることもできました。なかなかゲンキンなストライキでした。
ミロ美術館では、ミロの陶芸の大作をいつでも見ることができます。ミロは陶芸に魅せられ、バスとタクシーを乗り継ぎ、美術学校時代の友人で、陶芸家のジュゼップ・リュレンス・アルティガスが山中に構えた工房に通っていました。
アルティガスは、第二次大戦前後に日本に長期滞在したバルセロナの芸術家を通じ、手作りの日用雑器に美を見いだす「民芸運動」に傾倒。実践者の一人で益子(ましこ)焼の人間国宝、浜田庄司とは深い親交を結んだ。一九七〇年の大阪万博でガス・パビリオンを彩った陶板壁画などミロ作品の多くを焼き入れした窯は、設計図を提供した浜田がガリファを訪れて開窯(かいよう)した。
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ミロの長い画業において一つの転換点となるのが、戦後本格的に始めた陶器制作である。美術学校時代からの友人である陶芸家のアルティガスの作品に感銘を受けたミロは、1942年に共同制作を持ち掛けた。これは2人の共作の初期作品であり、陶器の側面にはミロの絵画作品によく見られる人物像と星が描かれている。手仕事を感じさせる柔らかなフォームは民芸品を思わせる。元来ミロは、絵画制作においても素材の手触りの感触を制作の動機にすることがあった。そのため、実際に素材に触れて成形する陶器制作はミロをおおいに刺激し、晩年に至るまでのライフワークとして取り組んだ。アルティガスは東洋の陶器に深い関心を寄せた人物であり、彼を通じてミロは日本文化の知見を深め、実際に訪問することを夢みるようになった。66年の初来日時にミロは信楽や瀬戸の窯元を訪ねており、いかに日本の焼き物を実見することを願っていたかをうかがい知ることができるだろう。(吉川貴子=Bunkamura ザ・ミュージアム学芸員)
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