ロンダニーニのピエタ

Art

ピエタは聖母子像の一種で、磔刑に処されたのちに十字架から降ろされたイエス・キリストと、その亡骸を腕に抱く聖母マリアをモチーフとする宗教画や彫刻などのことです。ミケランジェロが制作したピエタは、4作品存在します。

ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ(伊: Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni、1475年3月6日 – 1564年2月18日)は、イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人、社会活動家。

「サン・ピエトロのピエタ」(1498年 - 1500年、サン・ピエトロ大聖堂)
「フィレンツェのピエタ」(1547年? - 、フィレンツェ、ドゥオーモ博物館)未完成
「パレストリーナのピエタ」(1555年? - 、フィレンツェ、アカデミア美術館)未完成
「ロンダニーニのピエタ」(1559年 - 、ミラノ、スフォルツァ城博物館)未完成

「サンピエトロのピエタ」
ミケランジェロ25歳の作品です。この作品によってミケランジェロの名声は確立しました。
バチカンにありますが、すごく遠くからしか眺めることができません。双眼鏡でもないと見えません。マリアの左肩から右脇へ垂れた帯の上にミケランジェロの現存する唯一の署名があるそうです。

ミケランジェロがこの作品を作った当時、まだ彼は無名に近く年齢も若かったため、他の人の作品ではないかという噂が立ちました。ミケランジェロはこの噂に腹を立て、怒り任せに聖母マリアの洋服に帯のように自分のサインを彫ったと言われています。この行為を後から後悔したミケランジェロは、これ以降彫刻作品にはサインを入れないことを誓ったそうです。そのため、この作品は彼の長いキャリアの中で、唯一のサイン入りの作品となりました。

https://irohani.art/study/6517/

「フィレンツェのピエタ」
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に所蔵されています。制作はミケランジェロが70歳を過ぎてからであり、寝起きするのも厭い、一本のろうそくで灯りをともしながら一心に取り組んでいたと伝えられています。また、この作品は誰からの依頼のものではなく、ただ自らの精神と肉体のためだけに制作されたものだとヴァザーリ(Giorgio Vasari)は記しています。なお、フードを被るニコデモの顔は、ミケランジェロの自画像であると考えられています。

ミケランジェロは、1555年にこの作品を破壊しようとしたそうです。その理由についても諸説ありますが、一つは、キリストの足が他の者の足と触れ、交差し、重なっているという部分が、その2人の間に性的な関係があることの象徴と捉えられるのを、敬虔なミケランジェロが嫌がったというもの。もう一つは、ニコデモの顔を自画像としたことで政治的・宗教的な誤解を生じさせることに気付いたからだというものだそうです。

「パレストリーナのピエタ」
作品は、楣(まぐさ)式構造の古い建築材を使用していて、裏側には建築材であった時の装飾の一部が残っています。

ミケランジェロがこの作品を手掛けた経緯などの記録がまったく無く、またキリストの脚が作品全体のバランスの中で細すぎることもあり、ミケランジェロに帰する事に疑問を持つ評論家もいます。ミケランジェロのアイディアをもとに助手が制作したのか?ミケランジェロの「バンディーニのピエタ」をもとにフランチェスコ・ダ・サンガッロが彫ったとする推測もあります。肉体を扱う表現にはミケランジェロの他の作品と同じ手法も見られるものの、前述の細すぎる脚などから弟子や模倣者の作品であるという推定を否定することができません。

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ローマのロンダニーニ邸の中庭に置かれていたことから、そう呼ばれています。今はミラノ、スフォルツァ城博物館に展示されています。「ロンダニーニのピエタ」は84歳の時に制作に着手した作品です。「サン・ピエトロのピエタ」との間には約60年の隔たりがあります。ミケランジェロは視力を失ってからも病に倒れる寸前まで、この作品を作り続けていたそうです。ミケランジェロの未完の遺作です。

イエスの左腕が不自然な位置にあります。ミケランジェロは、構想を変え彫り直している途中に、亡くなったそうです。イエスの足は完成に近く、マリアを背負っているようにも見える不思議な構図です。

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