The Work of Frank Lloyd Wright 1910

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ライトの「ヴァスムート版」作品集

オークパークに自宅兼事務所を構え、ヨーロッパの建築様式の模倣である新古典主義が全盛でだった当時のアメリカにおいて、プレイリースタイルの作品でアメリカの郊外住宅に新しい建築様式を打ち出し、建築家としての評価を受けたライトでしたが、この後1936年のカウフマン邸(落水荘)までの間、長い低迷期を迎えることとなります。そのきっかけになった出来事が1904年に竣工したチェニー邸の施主の妻ママー・チェニーとの不倫関係でした。この間のライトの仕事として、ライトの「ヴァスムート版」作品集に触れたいと思います。ライトの作品集については、芸大の大先輩である神谷武夫さんが、HPで「古書の楽しみ」の中で詳しく紹介しています。

では、ライトの第一作品集はどうか というと、これもまた アメリカではなく ドイツで出版された、いわゆる「ヴァスムート版」の ライト作品集です。出版されたのは 1910年ですから(本格的には 1911年)、今から約 100年前の出版 ということになります。ということは、前回の「古書の愉しみ」の ジェシー・マリオン・キングの『幸福な七日間』(1913)と ほぼ同時期、また第一回で採りあげた ジェイムズ・ファーガスンの『インドと東方の建築史』の 増補改訂版・全2巻(1910)が出たのと 同じ年になります(初版は その四半世紀前の 1876年ですが)。エルンスト・ヴァスムートという ベルリンの大手出版社が、まだ 40歳を超えたばかりの、海を越えたアメリカの建築家の作品集を企画した(1908)というのは 異例なことだったでしょう。そのきっかけが何だったのかは よくわかりませんが、やはり ライトに注目した 誰かドイツの建築家が、出版社に勧めたのでしょう。もちろんヴァスムート社は、一般向けの小さな写真集を 出すつもりでいました。ところが 様々な事情が重なって、次第に企画が大型化し、ついには 空前絶後の 超豪華作品集となってしまったのです。

まず第一に、最初の出版計画が ライトのもとに届いた頃は ライトは多忙で、また海を隔てていることもあって、計画は なかなか進捗しなかったことでしょうが、第二に、その数年前から ライトの私生活上の事件が 持ち上がっていました。ライトが住居と事務所を構える、シカゴ郊外の オウク・パークに E・H・チェニー氏の住宅の設計を 1903年に依頼されました。その設計と 工事の監理中に 頻繁に会ったチェニー夫人と、二人は恋に落ちてしまったのです。次第に深い関係となり、1907年には 公然の仲となったようです。メイマ・チェニーは 教養の高い知性的な美人で、また自由思想の持ち主でも あったのでしょう。ライトの妻も メイマの夫も 離婚に同意しないので、不倫のスキャンダルとなり、また その影響で 設計依頼が激減したので、ついに二人は、しばらくアメリカを離れる決心をしました。世にいう「駆け落ち」で、2年にわたって ヨーロッパで生活することになります。

ライトとしては、ドイツにおける作品集の 出版計画を推進する目的もありました。ベルリンで ヴァスムート社と協議を重ねるうちに 企画はどんどん大きく膨らんでいきました。ライトは 作品集を二種に分け、ひとつは小型の写真集ですが、もうひとつは 100枚に及ぶリトグラフ(石版画)のポートフォリオ(綴じ合わせずに 束ねる形式の画集、作品集)による図面集として、これに解説をつけて「モノグラフ(研究書)」とすることを求めました。これを実現するには 莫大な費用がかかるので、その大部分をライトが負担する という条件で合意しました(これには ライトが大量にコレクションしていた日本の浮世絵の売却や パトロンからの借金を充てることになります)。ライトとしては、この作品集を大々的に売り出すことによって、四面楚歌に陥った アメリカでの仕事と生活の突破口にするとともに、世界に打って出る 足掛かりにしようとしたのでしょう。

http://www.kamit.jp/15_kosho/15_wright/wright.htm
ヴァスムート版『フランク・ロイド・ライト作品集』写真編(ウェブサイトより)

ライトは イタリアのフィレンツェに部屋を借りて 出版の準備を始め、アメリカから 建築家修行中の息子のロイドと、事務所のドラフトマンだった テイラー・ウリーを呼び寄せて、事務所から送らせた図面を、縦横比 2:3 の用紙に一枚一枚レイアウトを指示して 清書をさせていきました。この作業に 二人がかりで 数か月かかったといいますが、その人件費から渡航費や滞在費まで含め、作品集には 大変な費用が かかっているわけです。

図面といっても、その半分以上は 透視図(パースペクティヴ・ドローイング、日本では 略してパースと呼ぶ)であり、ほとんど 画集のような趣きです。ただ 基本的には彩色画ではなく 線画であり、平面図と透視図の 表現技法の違いが あまり無いようにしています。線画を リトグラフ(石版画)にするというのは、やや不思議な気もします。建築の古書では、線画は エッチング(銅版画)か 木口木版画(ウッドカット)にするのが普通です。線がシャープに出るからです。しかし、すべてフリーハンドで描いたドローイング(もちろん下図は定規で描かれていましたが)を リトグラフ印刷にしたことが、この「モノグラフ」を 非常に味わい深い 芸術的な仕上がりにしたのです。

http://www.kamit.jp/15_kosho/15_wright/wright.htm
ヴァスムート版『フランク・ロイド・ライト作品集』の復刻版 1963(ウェブサイトより)
オリジナルと同じ大きさの 415 x 650 mm。

こうして 一枚の大きさが 42cm×65cmという 大判のリトグラフを 100枚作製し、これを二分して 別々の帙(ちつ)に入れ(これも 日本の帙に ならったのかもしれません)、解説は小型の別冊としました。「モノグラフ」は 1275部が刷られ、そのうち 25部はライトの顧客や友人用として 半革(ハーフ・レザー)の特装本としました。作品集のできばえは 実に素晴らしいもので、新しい建築を求めていた ヨーロッパの若い世代の建築家たち(その中にはワルター・グロピウスやル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ等を含む)を驚嘆させ、熱中させました。リトグラフのシートは 約 1/3 が 縦使いですが、大多数(2/3)は 横使いです。これは ライトの初期作品集であり、いわゆる「プレーリー・ハウス(草原住宅)」を主としていて、日本建築に影響を受けた水平性を特徴とする住宅群なので 当然の帰結でしたが、後のル・コルビュジエの作品集が横長のものとなり、ブロイヤーやノイトラやアアルトも それに倣ったのは、ライトの作品集に胚胎しているのかな という気もします。

しかし この作品集は、ライトの思惑どおりの大成功 というわけには いきませんでした。ライトはアメリカに戻ると、メイマ(チェニー夫人)と ウィスコンシン州のタリアセンに居を構え、仕事を再開しました。この作品集を ドイツから 500部送らせて、いよいよ アメリカでの販売に乗り出そうとしていた矢先の 1914年、ライトの留守中に タリアセンの使用人のひとりが発狂して、タリアセンに放火して全焼させ、ライトの妻のメイマと その子供、さらには事務所員等、総計 5人を惨殺してしまったのです。500部の作品集も すべて燃えるか、消火のための水浸しになってしまいました。したがって、この 豪華作品集は アメリカでは ほとんど知られることなく、しかも この大スキャンダルで 妻と仕事を失い、ライトは失意に沈むことになります。

http://www.kamit.jp/15_kosho/15_wright/wright.htm

この希少な作品集の きれいなセットが古書市場に出れば 一千万円ぐらいするでしょうから、これは 個人が所有するよりも、ミュージアム・ピースとなってしまいました。(しかし 火災のあとでも、まだ かなりが ドイツに残っていたと思われるのに、少々計算が合わず 腑におちませんが。)このポートフォリオ版は 何度か復刻版が造られています。1963年に オリジナルと同じ大きさで アメリカのホライズン・プレス社から、1970年にはプレーリー・スクール・プレス社から 縮小版が出ていますが、これらも 今では ほとんど手に入りません。日本では、ライトが 1913年に22回目の滞日をした時に、ライトの依頼によって、建築家の武田五一が 32枚のシートを選び、1916年に『建築図案集』のタイトルで、縮小版を 大阪の積善館本店から出版したといいますが、これも 見る機会がありません。
1976年には、二川幸夫氏の A・D・A・エディタが 日本語版を出しましたが、忠実な復刻版ではなく、再編集していて、図の順序なども変えていますが、その意図や方法について何の記述もないので、やや不可解です (37 x 26 cm)。それに、図版の印刷が どうも しっくりこないので、購入する気になれませんでした。

http://www.kamit.jp/15_kosho/15_wright/wright.htm
1976年の日本語版・縮刷版 『フランク・ロイド・ライト建築図面集』 (37 x 26 cm)
ヴァスム-ト版『フランク・ロイド・ライト作品集』縮小復刻版 1998
“Ausgeführte Bauten und Entwürfe von Frank Lloyd Wright”
“Studies and Executed Buildings by Frank Lloyd Wright”

 というわけで、この 最初のライト作品集は じっくりと見ることが なかったのですが、1998年になって、ついに 決定版というべき 縮小 復刻版が、オリジナルを出した ドイツのエルンスト・ヴァスムート社から出版されました。ヴァスムート社は オリジナルを何部か所有しているだけに、検討に検討を重ねて、リトグラフでは ありませんが、最良のファクシミリ製版に たどりついたようです。オリジナルの 60 % 縮小で、ポートフォリオではなく 横綴じの製本にして、テキストも独・英両文で 製本に組み込みました。38.5cmの長さの横開きなので、やや 扱いづらい嫌いはありますが、前述のように 2/3 のシートが横使いなので、妥当な方法と思えます。図版は全部 片面印刷で、インクは黒ではなく、やや セピア調です。細かい線まで完全に出ているファクシミリ版としては、前回の『幸福な七日間』に並びます。ライトが終生愛した 日本の浮世絵版画、特に広重の絵に強く影響された構図の取りかたと描写は 実に見事で、100枚にも及ぶ これらプレーリー・ハウスの数々は、いくら見ていても 飽きることがありません。

http://www.kamit.jp/15_kosho/15_wright/wright.htm
「フランク・ロイド・ライト作品集」(古書の愉しみ 15. ヴェンディンゲン版)| 神谷武夫 | 
「古書の愉しみ」 第 15回として、ヴェンディンゲン版 『フランク・ロイド・ライト作品集』 を採りあげる。
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