UNITY TEMPLE 1904

Architecture

オークパークにある、ライトの最初の公共建築です。キリスト教の教会ではありません。キリスト教は ヨーロッパから北米大陸にもたらされましたが、新天地 アメリカには、カトリックよりも プロテスタントのほうが似合っていいました。中でも 理性を尊重したユニテリアン派は その代表的存在です。

ユニテリアンというのは、トリニテリアン(神と聖霊とキリストが三位一体であるとする トリニティ説をかかげるカトリック正統派)に対して、神のユニティ(単一性)と キリストのユニティとは別物だとして、神にのみ神性を認め、キリストの神性を否定する立場にあります。

ところが、そうした近代性をもっていたにもかかわらず、19世紀に建てられたユニテリアン教会は、建築的にはカトリックの聖堂と大差なく、ラテン十字のプランの上に ゴチック様式や ニューイングランドのコロニアル様式で建てられていました。オークパークの木造の旧聖堂は、1905年に落雷で焼失して 建て直すことになった時、すぐ近くに住居とアトリエをもち、1892年以来この教会のメンバーでもあったライトに設計が委嘱されました。しかもライトは、父がユニテリアンの牧師であり、ウェールズからアメリカに移民した母方の祖父は アメリカにおける初期ユニテリアン運動の指導者でした。

UNITY TEMPLE

自由宗教と会衆主義、個人の尊重の気風を身につけていたライトは、全く新しいプランと美学の聖堂を創りだし、1908年に完成させました。新しい聖堂には、それまでの教会堂におけるような、尖塔がないばかりか、ゴチックもロマネスクも バロックも、過去の西洋のいかなる建築様式の模倣でもない、打ち放しコンクリートのキュービックなマッスでした。

屋根はフラットで、外壁には ほとんど装飾のない、先駆的な「近代建築」としての聖堂でした。しかし中に入ると、ライト独特の幾何学的な装飾がほどこされ、ガラス屋根の下に嵌められたステンドグラスから落ちる光に満ち、美しいインテリアとなっています。

ライトは、1893年のシカゴ万国博覧会で、日本館としての鳳凰殿(平等院鳳凰堂をモデルにした木造建物)に天啓を受けたと言われています。以来、ライトは、日本文化に傾倒し、1905年(明治 38年)に初めて来日して、各地の建築や美術を見てまわりました。ユニティ・テンプルの設計を始めたのは、その帰国の1ヵ月後のことでした。ユニティ・テンプルのプランは、日光東照宮の拝殿+本殿のプランとよく似ていることが指摘されています。

日光東照宮               日光大猷殿            ユニティ・テンプルの平面比較
(From “Unity Temple” by Robert McCarter, Phaidon, 1997)
UNITY TEMPLE
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