Hollyhock House 1921

Architecture

Barnsdall House(Hollyhock House)は、石油王の娘、Louise Aline Barnsdall(1882-1946)のためにライトが設計したものです。ライトは最終的にロサンゼルス地域に10件の住宅を建設しますが、ホリホックハウスが最初の現場でした。ライトの建築物はLAにもありますが、そのほとんどはプライベート所有もしくは未公開となっています。

Hollyhock Houseはフランク ロイド ライトの最初のLAプロジェクトで、ライト自身は、「自分の形を作る自由」を意味する音楽用語を使って、California Romanzaと呼んでいます。Hollyhockと言う名は施主アリーンの好きな花(タチアオイ)で、この建物の至る所で装飾モチーフとなって見ることができます。

当初購入された36エーカーのオリーブ・ヒルに劇場など含む建設の大きなプロジェクトでしたが、財政的に困難となりライトは解雇となりました。又当時、彼は日本の帝国ホテルをデザインすることに専念したため、個人的にはほとんど監督できず、助手のルドル フシンドラーと彼の息子、ロイド ライトに家の設計に関する多くを委任していました。

アメリカでは、1920年代に、古代マヤ文明の建築に影響を受けたマヤリビエラ様式(Mayan Riviera)が流行りますが、1919~1921年にかけて建設されたホリホックハウスにもその影響がみられます。また、日本の帝国ホテルの建設も、1919~1923年と、同時期に進行していたプロジェクトだったこともあって、ホリホックハウスには日本の影響も感じられます。

Hollyhock House
Hollyhock House

入口のドアは上に向かって幅が狭くなっています。そのように壁が傾いて天井に向かって狭くなっている空間では、壁際に椅子を置くと、椅子の背もたれが壁に当たってしましますが、幅木を平幅木にして幅木を避けて椅子を置く分には、背もたれも壁には当たらないようになっています。

その後アリーンの要請により建物はロサンゼルス市に寄贈、米国内務省により2007年に国家歴史的建造物に指定され、この場所は彼女の父 Theodore Barnsdallを偲んでパブリックアートパークになりました。ホリホックハウスは、小高い丘の上にあるのでダウンタウンも一望することができます。北側の山には遠くに Hollywood のサインも見えます。

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