Atoranta High Museum 1983

Architecture

ハイ美術館は、1905年にハイ・ファミリーによりアート・アソシエーションとして設立された美術館です。1962年に106人のアトランタの芸術愛好家がパリ=オルリー空港で飛行機事故に巻き込まれるという事故がありました。当時、史上最悪の飛行機災害でありアトランタの著名人も亡くなりました。

パリへの訪問中、アトランタの芸術愛好家はルーブル美術館でジェームズ・マクニール・ホイッスラー作の「灰色と黒のアレンジメント-母の肖像」を見る予定であったため、1962年にルーブル美術館はアトランタの人々への善意のしるしとして、「灰色と黒のアレンジメント-母の肖像」をアトランタに送り、一時的に展示しています。
また、1962年の事故で亡くなった人々を称えるために、アトランタ・メモリアル・アートセンターがハイ美術館に建てられました。そのときに、フランス政府は犠牲者を追悼して、ロダンの複数の彫刻を寄贈しました。こうした歴史性をハイ美術館は抱えています。1983年にリチャード・マイヤーの設計で、新しいハイ美術館が竣工しました。リチャード・マイヤーはこの翌年にプリツカー賞を受賞しています。

リチャード・マイヤーの非常に彫刻的な建物は、内部の展示よりも美しいという批評もあります。白いコンクリートで構築されたロビーは巨大なアトリウムであり、美しい一方で展示スペースがほとんどなく制限されています。こうしたキュレーター泣かせのスペースが皮肉を込めてそう呼ばれている面もあります。公式な延床面積は12,500 m2ですが、ギャラリースペースとしては4,800 m2しか利用できないのです。

https://sumukoto.com/architect-richard-meier/

展示室がL字型に配置されていて、四分の一円型の光あふれる巨大なアトリウムにスロープと廊下が配置されて各階を繋いでいます。

2005年にレンゾ・ピアノが、ハイ美術館のマイヤー棟に接続して、3棟の新しい建物を設計しました。これにより博物館は、2倍以上の29,000平方メートルに拡大します。ハイ美術館の拡張の一環として建てられた3つの新しい建物はすべて、リチャード・マイヤーが最初に選んだ白いファサードに合わせて、アルミニウムのパネルで覆われています。 レンゾ・ピアノ棟は光を取り込む特別な屋根システムが特徴です。

タイトルとURLをコピーしました