Parc Güell 1900-1914

Architecture

グエル公園の有料エリアが拡大して、かつての「ヒストリカルエリア」がほとんど有料エリアになりました。また、営業時間が9:30~19:30に短縮されています。ガウディの「大階段(トカゲの像)」をはじめとする大半の主要モニュメントはこの「有料エリア」の中にあります。有料エリアと無料エリアの境に関しては、公式サイトにマップが掲載されています。赤枠内が有料エリアになります。以前は営業時間の前後は有料エリアに無料で入場できましたが、現在は近隣住民や会員以外は入場できません。

駅から上り坂を山に向かって歩きます。最後の坂にはエスカレータがついています。入り口があって、かつては、早朝に施錠されていない門からこっそり…という感じで、公園の有料エリアに入ることができました。

Parc Güell Map

グエル公園は1900年に、エウゼビ・グエルとアントニ・ガウディの間で共有された夢から生まれました。 当初の目的は、バルセロナに、英国モデル「ガーデンシティ」に触発された新たな住宅地を建設することでした。このことから、 パーク・グエルという英語の名前がつけられました。計画実行のため、エウゼビ・グエルは、「禿山」というあだ名のあった、マリアナオ侯爵の郊外の屋敷を含む広大な土地を取得しました。当初は バルセロナのブルジョア階級家族用の家を60区画売却するプロジェクトでした。その目的は実現しませんでしたが、グエル公園として今に至っています。

夢のニュータウン、グエル公園には、2軒の家しか建つことがありませんでした。一軒目の家は、建築家ジュリ・バッチェベイが建設した弁護士マルティ・トゥリアスの家です。その後、ガウディの設計図で販売促進のためのモデルハウスの建設が委託されました。請負業者ホセ・パブロ・カサノバスが建築を担当し、このニュータウンに建てられた2軒目(そして最後)の住宅となりました。1906年にこの家を購入したのはガウディ自身で、 ガウディは父、姪、メイドと一緒にそこで暮らしました。

アントニ・ガウディ(カタルーニャ語 :Antoni Gaudí i Cornet [ənˈtoni gəu̯ˈði i kuɾˈnɛt]、1852年6月25日 – 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家です。1878年4月に建築士の資格を取得して同年、パリ万国博覧会に出展するクメーリャ手袋店のためにショーケースをデザインしました。この作品を通じてガウディの才能を見初めたのが、繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエル(エウゼビ・グエイ)であした。グエルは、その後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援し、グエル邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計を依頼しました。ガウディは、1883年にはサグラダ・ファミリアの専任建築家に推薦されます。

日中は、観光客であふれかえるオオトカゲの噴水も、早朝であれば独占することができます。ミュージアムショップにこのオオトカゲのマグネットがあります。昔買ったものと並べてみると、全然違うものになっていました。

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