Salk Institute for Biological Studies

Architecture

ソーク研究所(Salk Institute for Biological Studies)は、1963年にジョナス・ソークによって創設されたカリフォルニア州サンディエゴ郊外のラホヤに位置する、生物医学系の研究所。私立の非営利法人です。カリフォルニア大学サンディエゴ校のキャンパスの隣に位置し、研究者の数が1000人にも満たない小規模の研究所ですが、常に研究論文の引用度は世界でも1、2を争い、教授陣は各研究分野の先端を走っているといわれています。

また研究棟は、建築家ルイス・I・カーンによって設計され、青い海と空に映える美しい対象形の建物は、当時の建築界に新風を巻き起こしました。このため世界中から、科学者のみならず、多くの建築ファンも訪れるところです。

ルイ・カーン、ルイス・I・カーン、ルイス・イザドア・カーン(Louis Isadore Kahn, 1901年2月20日 – 1974年3月17日)は、20世紀を代表するエストニア系アメリカ人建築家で、都市計画家、イエール大学、ペンシルベニア大学などいくつかの大学で研究講義したプロフェッサーアーキテクトです。

打放しコンクリートを建築デザインとして用いたのは、フランスのオーギュスト・ペレが最初であるが、それをモダニズムの美学として発展させる取り組みは、日本が世界で最も早く、アントニン・レーモンドを経て、後に日本のお家芸と言われるまでになる。カーンのコンクリート打ち放しによる柱梁表現も、丹下健三の初期三部作(広島ピースセンター・旧東京都庁・香川県庁舎)に影響を受けたのではないかとする向きもあるが、その細部に至るまで緻密な表現は、構造エンジニアのオーギュスト・コマンダントの協力もあって、カーン独自の美学的完成度をみせている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BBI%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3

1929年に起こった世界大恐慌の影響で仕事に恵まれない時期もありましたが、1935年、自らの建築設計事務所を開き、居住建築プロジェクトを立ち上げると、同年、建築家のアルフレッド・カストナーの誘いでニューヨークに行き、アメリカ合衆国再定住局の助任建築家としてローコストの公共住宅の設計に携わっり、1937年、公共事業による住宅建設の機運が強まると、アメリカ合衆国住宅局、フィラデルフィア住宅局が相次いで設立され、早くから公共住宅の問題に取り組んでいたカーンはその実績を認められて、フィラデルフィア住宅局顧問建築家になる。1939年にはアメリカ合衆国住宅局顧問建築家にも就任しました。

1947年〜1957年の10年間、イエール大学で非常勤講師として教鞭を執った機縁で、1951年、イエール大学アートギャラリーの設計を依頼される。1957年〜1974年 フィラデルフィアのペンシルベニア大学に移ると、ペンシルベニア大学リチャーズ医学研究棟で建築界の注目を集め、アーキテクトとしての事実上のデビューを果たすことになった。

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リチャーズ医学研究棟は、56~64歳のときの仕事で、フィッシャー邸も60歳を超えてからの仕事でした。主要作品のほとんどは、リチャーズ医学研究棟以降でしたが、1974年、インドのアーメダバードからの帰途、ニューヨークのペンシルベニア駅の男性用トイレで心臓発作のため亡くなり、数日後発見されました。73歳でした。

Salk Institute details
ソーク博士はポリオ・ワクチンの開発で有名な細菌学者です。また、計画時のサンディエゴの市長がポリオ罹患者であったことも手伝って、個人的にサンディエゴへの研究所誘致が進められたそうです。美しい研究所にしたかったソーク博士は、「芸術家のピカソを招...
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